出演番組WEB公開/KTS鹿児島テレビ「子どもたちが見つめる戦争」―『ぼくのとなりにマヤがいた』を通して


今日、8月15日は終戦の日です。

戦後81年となる2026年、KTS鹿児島テレビの特集で、『ぼくのとなりにマヤがいた』(文・久保田里花/絵・松本春野)理論社を通して、子どもたちと一緒に戦争や平和について考える座談会が放送されました。

『ぼくのとなりにマヤがいた』は、鹿児島の児童文学作家・椋鳩十が書いた「マヤの一生」をもとに、その孫である久保田里花さんが、当時を生きた子どもの視点から描いた物語です。

主人公の少年・ヨウジは、愛犬マヤと暮らしています。賢く、地域の人たちからも愛されていたマヤですが、戦争が激しくなると、「空襲で犬が凶暴になる」「犬の毛を軍のために使う」といった理由から、町の犬たちが次々、命を奪われていきます。

座談会ではまず、物語の中で自分が共感する人物、そして「自分から遠い」と感じる人物について、子どもたちに考えてもらいました。

「署長さんはどんな顔をしていたと思う?」

そんな問いに、

「困ったような顔」
「冷静な顔で、怖い声」

など、それぞれ違った答えが返ってきました。

絵には描かれていない表情を想像することで、その人物が何を感じ、何を恐れ、どんな思いでその場にいたのかを考えていきます。

さらに、物語の一場面を役に分かれて朗読しました。

マヤを守りたいお父さん。
マヤを手放すよう求めるおまわりさん。

一度読んだあとで、今度は役を入れ替えて朗読します。

最初はおまわりさんを「怖い人」と感じていた子が、自分でその役を演じたあと、おまわりさんの気持ちを「焦っていた」と表現しました。

「怖い人」としか見えていなかった人物が、役を演じることで、その人自身もまた恐怖や不安の中にいた一人の人間として見えてきます。

本を読むことは、自分ではない誰かの喜びや痛みなどを想像することでもあります。

自分から遠い立場の人のことを想像すること。
そして一度、その人の場所に立ってみること。

そうすることで、私たちは人を単純に「正しい人」「間違った人」と分けるのではなく、その人の奥にある気持ちまで考えられるようになるのではないかと思います。

番組の中で、私はこんなことをお話ししました。

「想像することで、私たちはたぶん優しくなれる」

そして、人間は一人ひとりでは怖さに対して弱くなってしまうけれど、人と手をつなぎながらだったら、「つらい」や「いやだ」、「やめて」や「やめよう」など、その場の出来上がった空気とは違った正直な気持ちを、声に出して言っていけるのではないでしょうか。

戦争は、そこに暮らす一人ひとりの日常や、大切な存在、そして人と人との関係を壊していきます。

過去の戦争を学ぶことは、昔の出来事を知るためだけではなく、今の暮らしを大切にすること、そして、怖さや空気に流されそうになったときに、誰かの痛みを想像し、人とつながり、自分の声を持つことにつながっていくのだと思います。

『ぼくのとなりにマヤがいた』を通して、子どもたちが何を感じ、どんなふうに登場人物の気持ちを想像していったのか。

ぜひご覧いただけたらうれしいです。

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